気が狂わないようにする

己だけでは己の思想を抱えきれない

酔い

好きな人間に全員が魅了されていく様。

 

ほとんどの山場を乗り越えてはきたが、本日はしっかりと怒られが発生した。

 

食べ物を買わずに酒を補充している。

 

多分いつも通り、大事なことを聞いたんだろうが、今日は何も入ってこないというか、腹回りの不快と酔いが全てを曖昧にしている。

 

長所を聞くチャンスをふいにし、短所だけを告げられた。それでもいいのは1つの歪みとならないだろうか。相変わらず線引きのできない女であることよ。

 

料理がしたい。包丁もなければ皿もない。

 

散文を書くしか能がない。元より何も。

 

ミロのヴィーナス。補完による美。

 

人を面白いと思う力。観察眼。

 

花葬があまりに良すぎて、「え?!?!?!」となったのは不定期開催の

7月総括

どうでした?!

 

終わりよければ全てよし、を体現したような月。嘘、たくさん学んだし、気づきを得たし、手解きを受けた。終わりだけが良かった訳じゃなくて、一つ一つが積み重なっていって緩やかに上昇した形。人生がこうならいいね。

 

前後不覚になりたいよ!と叫んだ頃からそう日をおかずにこんなに落ち着いてられるのは不思議なことだ。

 

ところで暫くカーテン、家具家電、インターネットなどなど何も無いのはもう、らしさとして認めている。

憂鬱

膝も腰も痛い。

 

ストレスの蓄積がひどい。明日、こなさねばならない予定があり、それについてとても気が重い。かつ、今日は低気圧でほぼ起き上がれず、何もできなかった。そして、洗濯を早めるために入浴を普段より早めたのだがこれが空腹と重なり最悪の結果に。いつ何を食べたかわからないから、何もわからない。とにかくたくさん寝た。今ここに楽器も本もPCもなく、捌け口がない。そしてまた、訳のわからない勘違いや思い込みが自分の中でぐるぐると回り続けている。

 

暇は本当にいけない。あんなにやりたいことがあったはずなのに、あんなにみたい配信があったはずなのに、ついに今日ホーム画面をスクロールして最後の最後まで辿り着いてしまった。あの画面って無限に読み込めるわけじゃないんだ。

 

何も見たくない。ラーメンがのびる。吐き気がする。腰痛がひどいから薬を飲んだ。この後おそらくそれでハイになる。人間関係はうまくいかない。自分はゴミ。

起き上がれない日は自分を責めがち

食物を口にし、洗濯の終わりを待っている。

 

昨日は本当に参った。天候の影響で全く動けない上に、冷凍の米を切らしており、乾麺も無い状態で、取り敢えず豆腐に納豆をかけて一旦凌いだがやはりその後長らく身体を起こせず、天候が落ち着いた頃に人からの連絡をもらってようやく買い出しに出た。

 

身動きができないときのために、備蓄が必要なのはわかっているのに、冷蔵庫の中身などをある程度減らす必要があって、尚且つ少し物事が重なったことであっという間に崩れ落ちてしまった。

 

酒の残量しか把握していない。それも、おそらくは今日飲み終わるので、明日は何もない。1日2日酒がなくたって、困りはしなかったはずだが。

 

一つ滞ると全てがちゃんがらになる。Aというプロジェクトを進めていて他人マターになってる間にBを進めることができない。「あぁ、Aは大丈夫だろうか…」と右往左往して終わる。

 

米を炊くことに抵抗が減ったはずなのに、逆戻りするほど台所周りの気が重くなった。なんだか、うまくやれていたはずなのに。

 

別に躓いたことを気にすることもなく、というかこれを"躓いた"とカウントすることなく、「なんかだりぃ日あったわ、まー人生そんなもんじゃね?」といってまた新しい1日を始めるのが良い。

手札の話

表現の幅を増やしたい。

 

これは、言葉についてもそうであるし、身体表現もそうであるし、特に今最も関心があるのは歌である。

 

私が惚れたアーティストは、驚くほど色々な顔を持っている。それもあの子に惹かれた大きな理由の一つで、憧れる。

 

音楽というジャンルにおいて自分自身の表現の幅が狭いな、と自覚してからそんなに時間をおかず、ある出会いをした。

 

その出会いにおいて、手数の少なさを痛いほど思い知らされている。まるで歯が立たない。

 

恐らくは、これまでは必要としなかったからだ。欲しいと思わなかったのだろう。欲しいと思わないものを、まず認識できないし、必然、習得はできない。ちなみに、然して必要としてもなかったのに自然に習得してしまっているものは、"得意"なことなので、その手の職についた方がいいだろう。

 

多種多様な音楽を聴けば、表現の幅は広がるだろうか。

実はこれは、そうではない。

 

出力回路が、繋がっていない。聴いたことがあるだけでは、自分のものにはならない。同じ声を出そうとしたことがあるか?同じ表情をしたことがあるか?新しい曲に出会った時に、習得した物の中から使いたいものを引き出して色付けることができるか?

 

私は語学学習を気まぐれに行っていて、最近はYouTubeでESPというpodcastを聞いているのだが、シンプルで使いやすい表現が終始使われている。日常でいますぐ使える言い回しの応酬で、番組が進んでいくのだ。正直なところ、番組内でピックアップされるような特殊な言い回しの部分には然程興味が湧かないというか、そうやって教科書的にひとつひとつ覚える段階には無いのだと思う。

このpodcastで出てくる言い回しについて、汎用性が高いのに自分の口からは出ないものを見つけると自然と、真似ようとする。動画を止めて、スクリプトを読み、口に馴染ませる。必要とあらば該当箇所を何度も再生し、イントネーションやテンポを掴む。ナレーターと同様の場面に立った時、これで私は同じことができる。(流石にそこまで極端な話ではないが。)

ミミックは、ただ単にその場で真似をするのではなく、自分の武器を増やすことであるように思う。次に同じ場面に遭遇した時に、このカードを出すことができるのだ。使える手札は多ければ多い方がいい。それがその人間の肥沃さに繋がると私は考えている。

 

何故急に語学学習の話をしたかというと、この、「知らない表現を自分のものにする工程」を行っている1番身近な例が語学だったからだ。結局、聞くだけではダメで、自分の口に馴染んでパッと出てくるようにするまでが、出力回路の接続作業だと思う。これを、私は他でも活かしたい。音楽も芝居もライティングも、ただ何となく受け取ったものを使いまわしているのでは底が知れている。

 

そして欲を言えば、他の表現方法を跨いで出力できるようになって欲しい。絵で吸収したことを音楽で、音楽で吸収したことを言葉で、漫画で吸収したことを芝居で、といったように、自分の手札を煮込んだり変形したりして適切な場面でパッと出せるようになれば、もっと楽しくなる。

 

切れるカードがない。場において、手持ち札の全てが無効。これに気づいた時、愕然とする。そして、そこで初めて考えるのだ。"どうすれば、ここで勝てる?"

この、繰り返し。手のうち用がない場面で苦しみ喘ぎ、その場面で使えるものをその先の人生で探していく。また同じようなことが起きるかどうかはわからないが、もし起こってしまった時に、ちゃんとカードが切れるように。

 

コンフォートゾーンを出ることがいかに大事か。

 

欲しいものが無いと動かない、人間は怠惰だなあ。

旅人としての練度

移動が多い。

 

出張の多い仕事をしているだとか、転勤族だとか、そういうことではない。ただ一人で生きているだけなのに、ひとところに居を構えていられない。流石に今回で一区切りついてほしいものだが。

 

1年前、ギプス生活があけたかあけないかの頃、実家に住んでいた。そこから出て現在、3か所目の住まいにいる。もうすぐ4か所目に移るところだ。

 

何か原因があるのだと思った。「これは進学だから」「これは就職だから」「これは〇〇だから」…と、まぁ説明できないことはないだろう、一つ一つに理由付けをすることは可能だ。ただ、都度の場当たりの理由があっても、仕方がない。私が知りたいのはそんなことではない。

 

安定を目指すのが正しいことだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。無理に定住や定職を望むのではなく、旅人の星の元に産まれたという運命を受け入れ、旅人としての練度を上げる方がよさそうだ。パーティ加入時に僧侶だったキャラクターを騎士にジョブチェンジさせることが無いように、旅人というジョブのボーナスを素直に受け取ろう。

 

持たないものを望むのではなく、持っているものに気づく。そうやって、ほどく。ほどいて、楽になる。

 

キリギリスに確定申告はできない。アリに泣きつくほかない。郷に入っては郷に従うのが筋だが、郷に従うのが下手くそだから旅を続けているのでは?

日ごとに記す

書こうとすると書けないもので、昨夜作った野菜スープにうどんと豆腐と胡麻を追加したらそれはそれは美味かった、というような何の発展もない話題しか出なくなる。

 

元より思考をため込んで気が狂う状態を防ぐために書くことを始めたのだから、別に話題は何でもいいといえばいいのだが、最近は「人に理解してもらえる文章を書く力」が自分にないことを意識せざるを得ないので、少しはまともな話をまともに書く練習をしたいのだ。

 

金と食と美容・健康は、関心を持っている絶対数が多いから、その手の話題を扱うのがよい、という説をずいぶん前に見かけたような見かけないような。

 

テーマを持って文章を書くということを、長い間していない。下手をすると高校時代に小論文を書かされた時が最後じゃないか?大学のレポートは別に、字数稼ぎにしか意識が向いていなかったし。

 

「カテゴリー」という機能を見つけた。この手のものは、ある程度記事が溜まらなければ整備できないのではなかろうか。少なくとも私は”日記”、”雑記”とされるような文章しか残していないので、取り合えず「日記」カテゴリを作成した。

 

今後書くとしても、日記以外に分類はできないと思う。よほど、書評だとかそういう、分類の分かりやすいものでない限り。

 

自己表現がうまくできず、詰まりを起こしている。その流れを整えてやることで、息がしやすくなると思っている。思っているというか、「信じている」のほうが正しいかもしれない。

 

占いをする人から、「運勢をみるときには霊性を発揮するけれども、望みを叶える部分では結局現実的な手段をとるほかない」という話を聞いた。霊性は魔法ではない。相手の連絡先が突如として端末に登録されることはなく、自分で聞きに行くことしかできない。

 

昨日、ひどく酔った。一番酔っていた時から2時間がたち、もう真っ当だと思っていたのに”スマブラ”という単語がどうしても出てこなくて、大変に苛立った。

 

酔った理由は、日中、少し無理をしたから。いつもより食事の量が少なかったから。飲み始める時間が、異様に早かったから。眠る前は頭痛があって、あの時点でもう二日酔のような状態だったのだろう。幸い、起きてからは何の支障もない。二日酔って、宿酔いじゃないのか?なぜ漢字変換に出ないんだ?

 

宿酔(シュクスイ)とも読むようだ。

 

片方のピアスを紛失して久しい。これはつけっぱなしにできる種類のもので、ピアス穴をふさぎたくない私は四六時中つけていた。しかし何かの拍子で外れたのか、あるいは必要があって外したのか、もう思い出せないが、そのままどこかへやってしまった。今は、不安定な左耳を優先してつけており、気が向いた時だけ右耳に付け替える。開けて数年がたつのに、いまだに左耳だけ、すぐに身がくっつきそうになるのだ。

 

長らく連絡を入れていなかった実家に、電話をするようになった。必要に駆られたためだが、しかし、恐れていたほど自分の身体に負担はなかった。直近処方された薬と自分の相性がいいせいかもしれない。

 

薬と自分の相性がいいというのは、実際のところはどういう状態を指すのか知らないが、私にとっては「望む状態を低リスクで得られること」だ。寝たいときに寝て、起きていたい間は起きていられる。それだけでいい。ただし、これも、長期的な服用で体重の増加が起こるかもしれない。そうなってくると、低リスクではなくなる。

別の症状で飲んでいる薬については、吐き気が副作用として出るため、タイミングに留意しなければならない。電車に乗る必要があるのに、吐き気で支度が終わらないどころか動けなくなる日もある。しかし薬を飛ばすわけにもいかないので、出発ギリギリに飲むことで、とりあえず家を出るという一番の難関を乗り越えるのだ。

 

香りのある紅茶を飲みたい。嗜好品だからと後回しにしているが、酒を買うより余程安い。買えないことはないのに、買わないのだ。自分の物差しと、世間の物差しをいまだにまぜこぜにしている節がある。他者が救われないものでも、私は救われるかもしれないし、逆もまた然り。ずっと見送っていた入浴剤を買ってよかった。金額でいうところの数百円を、しかしまたこらえようとするのだ。同じ理由で、1,600円の変換器を買えずにいる。確実に毎日、それも長く使うものなのに。酒をパック2本買うとその金額は消えるのに。