書こうとすると書けないもので、昨夜作った野菜スープにうどんと豆腐と胡麻を追加したらそれはそれは美味かった、というような何の発展もない話題しか出なくなる。
元より思考をため込んで気が狂う状態を防ぐために書くことを始めたのだから、別に話題は何でもいいといえばいいのだが、最近は「人に理解してもらえる文章を書く力」が自分にないことを意識せざるを得ないので、少しはまともな話をまともに書く練習をしたいのだ。
金と食と美容・健康は、関心を持っている絶対数が多いから、その手の話題を扱うのがよい、という説をずいぶん前に見かけたような見かけないような。
テーマを持って文章を書くということを、長い間していない。下手をすると高校時代に小論文を書かされた時が最後じゃないか?大学のレポートは別に、字数稼ぎにしか意識が向いていなかったし。
「カテゴリー」という機能を見つけた。この手のものは、ある程度記事が溜まらなければ整備できないのではなかろうか。少なくとも私は”日記”、”雑記”とされるような文章しか残していないので、取り合えず「日記」カテゴリを作成した。
今後書くとしても、日記以外に分類はできないと思う。よほど、書評だとかそういう、分類の分かりやすいものでない限り。
自己表現がうまくできず、詰まりを起こしている。その流れを整えてやることで、息がしやすくなると思っている。思っているというか、「信じている」のほうが正しいかもしれない。
占いをする人から、「運勢をみるときには霊性を発揮するけれども、望みを叶える部分では結局現実的な手段をとるほかない」という話を聞いた。霊性は魔法ではない。相手の連絡先が突如として端末に登録されることはなく、自分で聞きに行くことしかできない。
昨日、ひどく酔った。一番酔っていた時から2時間がたち、もう真っ当だと思っていたのに”スマブラ”という単語がどうしても出てこなくて、大変に苛立った。
酔った理由は、日中、少し無理をしたから。いつもより食事の量が少なかったから。飲み始める時間が、異様に早かったから。眠る前は頭痛があって、あの時点でもう二日酔のような状態だったのだろう。幸い、起きてからは何の支障もない。二日酔って、宿酔いじゃないのか?なぜ漢字変換に出ないんだ?
宿酔(シュクスイ)とも読むようだ。
片方のピアスを紛失して久しい。これはつけっぱなしにできる種類のもので、ピアス穴をふさぎたくない私は四六時中つけていた。しかし何かの拍子で外れたのか、あるいは必要があって外したのか、もう思い出せないが、そのままどこかへやってしまった。今は、不安定な左耳を優先してつけており、気が向いた時だけ右耳に付け替える。開けて数年がたつのに、いまだに左耳だけ、すぐに身がくっつきそうになるのだ。
長らく連絡を入れていなかった実家に、電話をするようになった。必要に駆られたためだが、しかし、恐れていたほど自分の身体に負担はなかった。直近処方された薬と自分の相性がいいせいかもしれない。
薬と自分の相性がいいというのは、実際のところはどういう状態を指すのか知らないが、私にとっては「望む状態を低リスクで得られること」だ。寝たいときに寝て、起きていたい間は起きていられる。それだけでいい。ただし、これも、長期的な服用で体重の増加が起こるかもしれない。そうなってくると、低リスクではなくなる。
別の症状で飲んでいる薬については、吐き気が副作用として出るため、タイミングに留意しなければならない。電車に乗る必要があるのに、吐き気で支度が終わらないどころか動けなくなる日もある。しかし薬を飛ばすわけにもいかないので、出発ギリギリに飲むことで、とりあえず家を出るという一番の難関を乗り越えるのだ。
香りのある紅茶を飲みたい。嗜好品だからと後回しにしているが、酒を買うより余程安い。買えないことはないのに、買わないのだ。自分の物差しと、世間の物差しをいまだにまぜこぜにしている節がある。他者が救われないものでも、私は救われるかもしれないし、逆もまた然り。ずっと見送っていた入浴剤を買ってよかった。金額でいうところの数百円を、しかしまたこらえようとするのだ。同じ理由で、1,600円の変換器を買えずにいる。確実に毎日、それも長く使うものなのに。酒をパック2本買うとその金額は消えるのに。